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〝乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント、講談社2011/10刊〟より

矢野絢也 乱脈経理-1

まえがき────7
 池田名誉会長からの贈り物/「捨て金庫事件」/「黒い手帖」の中身

第一章 押し付けられた交渉役────17
 発端/警察庁幹部が挙げた池田最側近の名/金は誰のものか
 池田氏からの預かり物/大藏省首脳たちとの宴/国税対策を頼まれる
 池田氏の公明党攻撃/殿のご乱心/捨て金庫事件で金丸副総理に相談
 住職誘拐事件/国税庁長官への電話/国税が学会本部へ
 学会員の寄付/宗教法人への課税問題

第二章 ブラックボックスだらけの学会会計────63
 学会の経理/「矢野さん、頼む」/旨みの大きい墓苑事業
 大蔵事務次官らの歓送迎会/『週刊文春』にすっぱ抜かれる
 極秘会談/大蔵官僚との交友/三点セッ卜
 前門の虎、後門の狼/池田氏所有の絵画にも

第三章 国税幹部たちとの攻防────101
 特金問題/出口戦略/池田氏の収入
 ファミリーにはふれさせない/譲れない六項目/ドィツ統一の日に
 帳簿の改竄/情報漏れ/反面調査/宗門との決裂

第四章 ルノワール事件と宗門戦争────151
 六O億円の申告漏れ/一一コンビ/湾岸戦争と税務調査
 納税額をもっと減らせ/ルノワール事件/矢面に立たされた八尋氏
 池田名誉会長は知っていた/修正申告のタイミング
 大喜びした池田氏/墓苑会計にメス/慰労会
 料調課長の怒り/「マムシの坂本」登場

第五章 竹下登か小沢一郎か────213
 損失補填問題/「学会内は無茶苦茶だ」
 次々発覚する学会側の隠し事/警視庁と国税の対立/P献金
 竹下登元首相との会話/自公合体/国税の強硬姿勢
 池田氏はヒステリー状態/学会内部からの投書
 池田氏の公私混同と狂乱財務/宗門からの絶縁宣言
 「ウルトラC」/「小沢の面子が潰れる」/束の間の休戦

第六章 そして闇は残った────283

 荒れる市川氏/ターゲッ卜は名誉会長/フランスでの「カルト認定」
 「竹下さんの顔を立てた」/そして税金はゼロに
 池田氏からのねぎらい/議員引退
 本山追い落としのために国税に投書/石田委員長の裏切り
 竹下元首相を使い捨てに/「みんな学会から追い出される」
あとがき────337

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       池田名誉会長からの贈り物……7

池田名誉会長からの贈り物

私の手元に削価学会の池田大作名誉会長から寄贈された香合がある。香合とはお香を入れる 容器のことだ。説明書には金の合金で作ったものだと書いてある。

香合は桐箱に人っていて、大きさはタバコ一箱より少し小ぶり。創価学会の紋章?八葉蓮華 の浮き彫りが表面に施され、裏面には「一九九ニ年五月三日」「大作」と墨色で刻印されてい る。五月三日は池田氏が学会の第三代会長に就任した記念日である。

 桐箱を包む熨斗紙には次のような私の走り書きがある。 『平成四年五月三日、第二次国税調査無事終了を記念し、特別につくらせたものとの香合を池 田名誉会長より贈与される』

 私が香合を受け取ったのは記念日から五日後の一九九一年五月八日のことである。東京信 濃町の学会本部で森田一哉理事長から手渡された。森田氏と会った後、私は池田氏の秘書役である長谷川重夫副会長(学会本部第一庶務室長)を訪ね、池田氏へのお礼を伝言した。このときの様子を当日の手帖に私はこう記した。

《森田理事長に池田名誉会長よりの香合とりにいく。「国税との交渉、まったく感謝してい る」。長谷川に会う。「この香合は特別につくったもの。特別の人にさし上げることになってい る。矢野さん国税の解決ありがとう」》

私は一九六七年に公明党の国会議員に初当選すると同時に、池田氏の指示で党書記長という 要職を任された。書記長は毎日多くの人と会い、処理する仕事も多かつた。そこで私は日々の 見聞や感想を手帖にメモすることにしたのだが、いつの間にかそれが習い性になり、議員を引 退するまでに書き溜めた手帖は一〇〇冊近くにのぼる。

この手帖は、後に、我が家に押しかけてきた公明党OB国会議員三名によって無理矢理持ち 去られ、それを巡って裁判にもなったことから「黒い手帖」などと呼ばれるようになったよう だ。彼らとの裁判では、私の主張がほぼ全面的に認められ、二〇〇九年一〇月に手帖は私に返 還された。

その経緯については拙著『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』『「黒い手帖」裁 判全記録』(いずれも講談社)に詳しく触れたので、ここで繰り返すことはしない。  いまは、学会を退会(〇八年五月)し、私に対する非人道的人権侵害の数々(評論家活動の停 止要求、機関紙などでの名誉毀損、億円単位の寄付の強要など)に関し、学会と幹部七名を提訴し ている身だ。

当時の手帖にメモしたとおり、香合は「国税のこと」、具体的には一九九〇年から九二年に かけて行われた、学会に対する国税庁の「税務調査」を解決した御礼として、池田氏から個人 的に贈られたものである。

 だが、せっかくの頂き物ながら、私にとってこの香合は税務調査を妨害するために行った醜 悪なやり取りを思い出させる品でしかない。私は、国税庁に働きかけて学会と池田氏個人への 税務調査を妨害し、ウヤムヤにした。その代償として受け取ったのが、他ならぬこの香合なの である。

熨斗紙と手帖の両方にわざわざ私がメモを残したのは、私が行った犯罪的とも言える不本意 な行為をけっして忘れてはならないとの自戒からであり、さらに当時の池田名誉会長と学会首 脳の狼狽ぶりや、なりふり構わぬ組織防衛の実態を忘れないようにするためだった。

 池田氏への税務調査を私がどのようにしてウヤムヤにしたかは本編をお読みいただきたい が、その前に、税理士でも会計士でもない政治家の私が、税務調査への干渉という恥ずべき行 為に走った経緯に触れておきたい。

◆「捨て金庫事件」
 そもそも学会に国税庁の税務調査のメスが入るきっかけは、一九八九年のいわゆる「捨て金 庫事件」である。これ自体、仰天するような大事件だった。学会系の聖教新間社の本社食庫に あった古金庫がゴミ処分場に誤って捨てられ、金庫の中から一億七〇〇〇万円の現金が見つか った事件で、当時、社会的に大きな話題になった。

この事件によって学会の金満体質が世間に強く印象付けられ、学会マネーに社会の関心が集 まった。なかでも重大な関心を示したのが国税庁だった。  国税庁はかねてより学会マネーと池田氏の個人所得をマークし、極秘裏に学会と池田氏に関 する情報を収集していたとされる。

だが相手は日本最人の宗教団体とそのトップであり、しかも公明党という野党第二党の支持 母体だ。国税庁としても、おいそれと手が出せる相手ではない。そこに捨て金庫事件が起こ り、学会マネーに対し社会の不審が高まったのを奇貨として、国税庁は学会マネーというタブ ーに切り込んだのだ。 まず一九九○年から九一年にかけて、国税庁は学会本部に対し、事実上、初めてとなる第一 次税務調査を敢行。引き統き九二年まで第二次税務調査を実施した。二度の税務調査に池田氏 はじめ学会首脳はパニックに陥つた。

しかも税務調査の最中に学会を舞台とする超弩級の大事件が発生したからたまらない。学会 系の美術館が購入したフランス印象派の巨匠ルノワールの絵画取引にからんで一五億円もの巨 額の金が行方不明になった、いわゆる「ルノワール絵画事件」である。

この他にも証券会社による学会への巨額の損失補填事件など、学会の金絡みのスキャンダル が同時期に相次いで発覚し、学会は世論の集中砲火を浴びて大きな打撃を受けた。

ボクシング にたとえると必殺パンチを五、六発喰らい、そのつどダウンしてふらふらになりながら、かろ うじて立っていたといった感じだった。国税庁は、これらの事件についても税務調査を行った が、ルノワール絵画事件では国税庁に加え、警視庁と東京地検特捜部まで捜査に乗り出した。

「私を守れ、学会を守れ!」
 税務調査と相次ぐスキャンダルの発覚に池田氏は激しく動転し、まるで悲鳴をあげるように 学会と公明党首脳らにわめき散らし、叱りつけた。池田氏がパニックになったのは他でもな い、池田氏自身が国税庁のターゲットになっていたからだ。国税庁は池田氏の個人所得を洗い 出し、法に基づき厳格な課税を実施する構えをみせていた。

とはいえ池田氏から「守れ」と命じられても、学会側には国税庁首脳とのパイプがなかっ た。そこで池田氏ならびに側近が、羽の矢を立てたのが私だった。公明党書記長を二○年近く 務めた私が、国会対策などを通じて当時の大蔵省(現?財務省)、国税庁首脳陣と個人的に懇 意にしていることを池田氏らは知っていたのである。

格好をつける訳ではないが、私にも良心があった。池田氏の意を受けた秋谷栄之助会長(当 時)から「池田先生のたっての意向だ」「弟子の務めだ」と何度も国税対策を依頼されたが「や ってよいことと悪いことがある」と私は抗弁し、断り統けた。

国会議員は国権の最高機関たる立法府の一員であり、税の徴収や分配の公平性を担保すべく 法律を作る立場にある。その国会議員が税務調査潰しに手を貸すなどというのは言語道断の行 為だからだ。おまけに相手は、国家権力の背骨とも言える国税庁だ。おいそれと立ち向かえる ようなヤワな組織ではない。

しかし、結局、私は池田氏の意向を断り切れなかった。おだてたり、すかしたり、ときには 信心を大上段に振りかざしての説得に私は根負けしてしまった。お世話になった池田氏に最後 のご恩返しをしたいとの思いも私の背中を押した。

◆「黒い手帖」の中身……13
 本書について、私が強調したいことは、次の五つの点である。  まず、本書は私の功名自慢話ではないということだ。むしろ本書の内容は私にとって恥多き 物語である。「信心で乗り越えよう」と何度も言われ、私は最後まで国税対策に取り組んだ が、しょせん私がやったことは税務調査の妨害という、人目をはばかる行為だ。

私は反省を込 めて、そして学会を良くするために、あえて恥を曝すことにした。税務調査妨害の実行者とし て、また国民に選ばれて国政に携わった元政治家として、私には自分の恥を書きつくす義務が あると思っているからだ。

第二点は、私や学会?公明党への好意から無理難題を聞いてくださった当時の政府高官、自 民党幹部に、私の記述によって多大のご迷惑をおかけすることになるのは私にとって心底辛い ということである。

もし本書のせいで心ならずも関係者にご迷惑をおかけしたなら、心からお 詫びを申し上げたい。二〇年も昔のことであり、すべては過去という時間の濁流に流されたも のとしてご寛恕いただくことをお願いしたい。

第三点は、そのような辛い思いを持ちながらも本書を執筆したのは、ひとえに創価学会上層 部の金銭感覚の麻痺症状に対する警告を行うためであり、私の警告を踏まえて学会経理の改善 と健全公正化が進むことを願うからである。現在においても、創価学会では会員に対して強い 調子で多大な財務(寄付)を募集している。

諸外国の大学の勲章など池田名誉会長を顕彰して もらうために、SGI (削価学会インタナショナル)が多額の工作資金を使っているという噂も 後を絶たない。二○年前、国税庁は学会に対し、乱脈経理の改善を強く指導し、それを学会が 必ず解決すべき重要な「宿題」として課した。はたしてそれは実現されたのであろうか。そう であることを願うが、いま学会中枢にあって経理を掌握している諸氏には、過去の隠蔽工作の 詳細を知る人はおそらく少ないだろう。拙著を参考にして経理の明朗化、公正化に努めていた だきたいと願う。

第四に申し上げたいのは、本書は私の手帖と記憶に基づいて記述したという点である。した がってここに書かれているのは私が直接、見聞きしたことであり、書かれていることは事実で ある。とはいえ、当然のことながら、国税対策については、私の関知しないところで学会主導 で行われた別線の襄工作もあったと聞いているし、私と無関係に問題解決に尽くした公明党や 自民党の諸氏の貢献もあったことだと思う。私一人で国税調査問題のすべてを解決できたなど という不遜な気持ちは毛頭持っていない。

学会首脳と密接に連携し、多岐にわたる点について事務的に国税当局と交渉したのは私であ るが、私の背後には法案成否の鍵を握る公明党の衆参両院における「議席の圧力」があり、そ れは私の存在以上に、大蔵省?国税当局に重くのしかかっていただろう。その議席の圧力が、交渉において私をバックアップしてくれたことは疑いない。

同時に、学会内部では税務調査に対する悪質な引き延ばしや証拠隠し、書類改竄が、交渉者である私にすら秘匿されて行われていたことも事実であり、それは本書をお読みいただければおのずと明らかになるはずだ。

 第五に強調したいことは大蔵省?国税庁に対する供応、買収の類は断じてなかったというこ とだ。私の働きかけなどを受けて国税庁が税務調査に関し、手心を加えたのは事実だが、国税 庁が法律逸脱や脱法判断を行ったことはいっさいなかった。本書では、私と交渉にあたった大 蔵省?国税庁高官の名前も実名で記しているが、彼らの名誉のためにも、それだけは断言して おく。

確かに重要な問題の多くは「宿題」の形で先送りされた。だが、その宿題は、学会側が その後すみやかに対応するという誓約のもとに先送りされたのであって、高官たちが学会経理 の問題を免罪し、野放しにしたわけではない。学会経理改善の約束は守られたであろうと思い たいが、もし宿題が解決していないとすれば、それは学会側が責めを負うべき違約、怠慢と言 える。

ともあれ、私は三年にわたって秋谷会長、八尋頼雄副会長(弁護士)ら学会中枢とほぽ?日 のように電話、面談をして、終始一貫、国税との交渉に携わってきた。その意味で秋谷、八尋 両氏は私にとって「戦友」と言うべき人たちだ。お二人は、池田氏から叱咤され、ときには罵 倒されながら、苦心惨憺して働いた。

彼らのよすがは「信心」であり、その発想はしばしば超 論理的かつ強引になりがちだったが、学会を守る一念においていささかも劣るところはなかっ た。お二人は常々、「師匠を守るのが弟子の道」とお話しになっていた。純粋な信心と「師匠 を守る」という学会精神を一徹に貫いたことは、賞賛に値する。私が彼らの純粋な信心に突き 動かされたのも一面の事実である。しかし、私たちが行ったことは、削価学会の正常で建全な 発展のために役立つたのか?いま、私はそうではなかったと思う。醜悪な部分を温存させて しまったとすら思えるのだ。

私は、学会の「乱脈経理」の実体を事実に即して正確に読者に知っていただきたいと考えて いる。このため本書では、登場人物はできるかぎり実名で記し、記述の元になった手帖の内容 は読みにくい部分もあるが、最低限の補筆に止め、極力そのままの形(本文中の《 》 部分) で提示することにした。私の手帖に残された記録、資料、さらに記憶を総動員して、創価学会 VS国税庁の死戦を再現してみよう

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       第一章 押し付けられた交渉役………17

押し付けられた交渉役

一九八九年六月三○日午前九時過ぎ、神奈川県横浜市旭区のゴミ処分場に捨てられていた古 金庫から現金一億七○〇○万円が見つかった。ゴミの山にあった古金庫の解体作業中に産業廃 棄物処理会社の従業員二人がパワーショべルで金庫を一メートルほど吊り上げたところ、金庫 の扉が開いて、二つの紙袋とともに大量の「聖徳太子」がハラハラと舞い落ちてきたのだ。  同じ神奈川県内では四月一一日にも川崎市の竹やぶで現金二億円が見つかったばかりだっ た。相次ぐ大金ミステリーに日本中が騒然となった。

処分場で発見された札束は、すべて聖徳太子が印刷された旧一万円札だった。半分は手が切 れそうな真新しい状態で、残りの半分は黒ずんでいたものの腐敗した様子はなく、すぐに使え そうな状態だった。また、白抜きで「一○○○万円」と印字された紫色の太い帯封で束ねられ た一〇〇○万円束も三つあった。

札束の一部には一九七一年前後の帯封と、「大蔵省印刷局封緘」の印のあるものがあった。 後者は「官封券」という一度も市中に出回っていない新札。需要が高いことから各銀行から特 別の顧客にまとめて渡される特殊な紙幣ということだつた。

捨て金庫事件のニュースを間いたとき、私は「あんな大金をいったいどこの誰が捨てたんだ ろう。あるところにはあるもんだな」と思ったが、特に気に留めることもなかった。 だが一夜明けた七月一日になると、私の周辺がにわかに騒がしくなってきた。金庫が、創価 学会関連企業の「日本図書輸送」から回収されたものであることが捜査で明らかになったため だ。同日(七月一日)付の学会機関紙の聖教新聞は一面の「寸鉄」というコラムで「今度は廃 品金庫から一億七〇〇○万円。ゴミの中から。欲ボケ社会の戯画か縮図か」とバッサリ切り捨 て、後で大恥を曝すことになる。

東京都文京区に本社(現在は東京都江東区に移転)がある運送?梱包業「日本図書輸送」は 創価学会関連の有力企業である。当時、本社は目白台の田中角栄元首相邸のはす向かいにあ り、創価学会と公明党の印刷物の輸送を中心に総売り上げの四分の三が創価字会関連で占めら れていた。

また同社は、池出大作名誉会長の地方出張などに際し、身の回りの荷物(と言って も、相当な量になる)の輪送をしていた他、学会関係の不用品の廃棄処分も行っていた。当時 の社長の大川清幸氏は公明党の元参院議員であり、私の手帖を持ち去った公明党OB国会議員 三人のうちの一人でもある。

 捜査当局は発見翌日には金庫の持ち主をほぼ特定していたようだった。創価学会内部から警 察に夕レコミがあったらしい。というのも、この日、かねてより懇意にしていた警察庁幹部 が、私に電話で「拾て金庫は学会関連だから気をっけたほうがいい。ところで学会に中西とい う幹部がいるか」とさりげなく聞いてきたのである。

中西という名前を聞いて私に緊張が走った。もしかして警察がマークする中西とは、池田名 誉会長の側近で〝創価学会の金庫番〟と言われていた中西治雄元聖教新聞社専務理事(当時創 価学会総務)のことではないかと考えたからだ。

◆警察庁幹部が挙げた池田最側近の名
 中西氏は陸軍幼年学校の出身で、池田氏が学会青年部の参謀室長をしていたころからの腹心 中の腹心の部下だった。池田氏に忠誠を誓う執事役とも言える存在で、性格はいたって生真面 目。池田氏から強い信頼を得て、かねてより学会内部で「池田氏がらみの裏金の管理も一任さ れている」と囁かれていた人物だ。

こういう経歴なので、本来、中西氏は学会の要職についていてもおかしくなかったし、現に 学会の副会長に推挙されたことがあるが、中西氏はこれを辞退した。その理由を中西氏は「池 田氏の指示があってやむを得ずとはいえ、本尊模刻事件に深く閲わり、大きな罪を負っている 私が、副会長の椅子をお受けする訳にはいかない」と話していたという。

 本尊模刻事件とは、一九七四年、池田氏が、六四世・日昇猊下から下付された本尊を聖教新 聞のカメラマンに撮影させ、それを元に八体の板本尊を勝手に彫らせたとされる事件で、信徒 として最大の罪に値する暴挙として日蓮正宗から糾弾されることとなった。当時、純真な学会 員は声をひそめて「身の毛のよだっような恐ろしいこと」と囁き合っていたものだ。これが大 きな原因となって削価学会は宗門?日蓮正宗総本山大石寺と紛争を起こし、やがて一九九一年 一一月に宗門から破門されることになる。

日蓮正宗では「本門の本尊」である「弘安二年一〇月一二日の出世の本懐のご本尊」が唯一 正統な本尊と尊崇され、本尊は日蓮正宗にとって唯一最高の信仰対象である。池田氏の本尊模 刻が明らかになったのは一九七八年だが、当時、池田氏の側近中の側近だった中西氏はこの事 件に何らかの関わりがあったと言われている。そしてそれを悔いたがためにか、それとも他の 事情があったのか、池田名誉会長の秘書グループである学会本部の第ー庶務室から聖教新聞に 左遷された。

中西氏は、いつもポーカーフヱィスで寡黙ながら頭脳は明晰。山のような重要案件を次々と 処理する手際のよさは、周辺からほとんど畏敬の眼差しで見られていた。  私も中西氏からの電話で、よく学会本部へ呼び出されたものだが、こちらは緊張のしっばな しだった。秋谷栄之助会長といえども中西氏の前では戦々恐々の態という印象だった。一時期 は池田氏に次ぐ実力者という存在だったのである。

その中西氏が捨て金庫事件にからんでいるというのが事実とすれば、池田名誉会長に累が及 ぶ危険性もある。中西氏が造反する可能性もゼロではなかった。  私は、半信半疑ながら、警察庁サイドから中西氏の名前が出ていることを第一庶務室と秋谷 氏に電話で伝えたが、驚いたことに、既に秋谷氏は事情をすべて承知している様子だった。

 秋谷氏は「中西の線は(学会内部から警察への)完全な夕レコミだ。(中西氏を隠して)第三者 を使ったらばれる。ストレートに行くしかない」と話した。これが本心なら秋谷氏は正論を述 ベたわけだが、とかく判断を保留することが多かった慎重な秋谷氏が、このょうに歯切れ良く 決断したのに私は驚いた。

電話の後、私は「すぐ来てくれ」と言われ、字会本部六階の会議室で秋谷氏、八尋副会長と 対応を協議した。 「今日、中西に会ったが〝記憶にない〟の一点張りだ。だがニュアンスとしては認めた」  秋谷氏が険しい表情で状況を説明すると、八尋氏は、どこで調べたのか「中西が昭和四○年 代に着服して個人的に蓄えたもの。横領にはならないが背任になる」と言った。

 八尋氏がいきなり背任という言葉を使ったことに私は心中、反発を覚えた。中西氏は確かに やり手ではあったが、反面、自己に厳しく、廉直な人柄だと思っていたからだ。金庫の管理者 は中西氏であるとしても、金庫の中の金が中西氏の所有であるとは、にわかに信じられなかっ た。ちなみにその後、字会が中西氏を背任罪で告発した事実はない。

八尋氏は学会の顧問弁護士で、元顧問弁護士の山崎正友氏が造反して以来、山崎氏に代わっ て学会のトラブル処理を担当していた。その八尋氏が「横領」「背任」という言葉を使ったの だ。八尋氏の話しぶりからは、もともと学会資金だった金を中四氏が私的に蓄財していたとい うニュアンスが感じられた。

 秋谷氏が強い口調で言った。
「真実で勝負して、あと中西を処分、除名する。これしか学会と(池田)先生を守る方法はな い」 秋谷氏の話では、金庫は聖教新聞社の本社倉庫の隅に置いてあったのを学会関連企業の日本 図書輸送が間違って廃棄した。金庫は戸田城聖二代会長が設立した学会系の金融会社「大蔵商 事」(現?日章)時代から使用されていたというが、池田名誉会長は大蔵商事のやり手営業マ ンとして戸田氏に手腕を認められ出世の足場を築いたとされている。

「真実で勝負する」という秋谷氏に対し、私が「真実ならそうするしかないが、内部事情を知 る本部職員はそれで納得するのか。それに世間はそう思うか。第一、中西がそう発言するか。 仮に、無実なのに罪を押し付けてしまうと、後で中西が造反しないか。『池田名誉会長がから んでいる金だ』と中西が言えば重大なことになる」と疑問を呈した。秋谷氏は「まったくそこ が問題だ」とうなずいた。

 私たちの協議中にも池田側近の長谷川重夫副会長(第ー庶務室長)から会議室に何度も電話 がかかり、激しいやり取りがあったようで、八尋氏が懸命に事情を説明していた。  数日後に長谷川氏から私が直接聞いた話では、長谷川氏は最初、秋谷氏に「第三者を立て る。中西の名前は出すな」と言ったという。

長谷川氏の判断は妥当なものと思えた。何しろ、 かって中西氏は池田氏の影のような存在で、中西氏と池田氏を切り離して考える者は学会本部 の中にはいなかった。池田氏を守るためには中西氏を表に出すべきでないと、私も考えていた。  長谷川氏は学会の絶対権カ者である池田名誉会長の代弁者である。したがって長谷川氏の発 言は池田氏の意向であると考えてよい。それにもかかわらず秋谷氏は山崎氏の名前を出すこと を選択した。

「中西が張本人であることは歴然としているので中西の名前を隠すことは不可能」?、秋谷 氏らは独自の情報からそう判断したらしい。学会内部では「驚天動地の出来事に学会首脳部が 大混乱に陥った」「池田名誉会長と秋谷会長の間に何らかの軋櫟があったのではないか」とい う憶測が流れたが、私にはいずれも誤った情報だと思えた。

秋谷氏は協議を締めくくるように「どちらにしても明日までは閲係者をマスコミから隠す。 だが月曜日(七月三日)からは逃げ切れない。嘘を言ってしまうと必ずばれると見なければな らない」と話した後、「こちらは知らんことだから、中西に全部かぶってもらう」と言い放っ た。

私は「これが中西氏のしたことなら、先生が邪推される。後が大変だ。中西氏の処分はリア クションが大きい。慎重にされたほうがよい」と述べるに留めた。

内心では「仮に金庫が中西氏のものと特定できても、その中の一億七〇〇〇万円はいったい 誰のものだろうか」と疑念を持ったが、それは黙っていた。

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◆金は誰のものか

 捨て金庫事件の報道は日增しに拡大していき、七月一日の新聞は神奈川県警と旭署が金庫の 出所を日本図書輸送と特定したと報じた。

事件が学会に飛び火したのを受け、私のところには学会や公明党幹部などから電話が殺到し た。ある学会幹部は「学会職員みんながあんなことをやっていると思われます。迷惑千万だ。 みんな怒り狂っています」と電話越しに憤りをぶちまけた。

七月二日、秋谷氏から「捨てた金の帯封の明細がわかる方法はないか」と電話で問い合わせ があった。私が「藤井富雄都議会幹事長に相談するのが良い」と言うと秋谷氏は「了解」と言 って電話を切った。注目すべきは、ここで早くも秋谷氏が捨て金庫の中のお金の帯封を意識し ていることだ。中西氏がチマチマと商売で稼いだお金なら帯封の問題は発生しない。この金の 素性について、学会中枢も疑惑を持っていた証左と言えよう。

混乱の中、秋谷氏は七月三日、学会員向けに「事件は中西氏個人の問題。学会は無関係」と いう趣旨の会長通達を出し、予告していたとおり中西氏一人に事件を押し付けた。

 これに呼応するように中西氏は三日夜、日本図書輸送の大川社長らとともに横浜市内で緊急 記者会見を行い、「金は私のもの。昭和四六年(一九七一年)ころから三年間、総本山大石寺で 個人的に開いた土産物店で金杯などを売って儲けて脱税した金だ。聖教新聞地下倉庫に置い たまま忘れていた」などとこわばった顔で話した。

中西氏は、池田氏や字会の金ではないかとの質問を明確に否定したが、中西氏個人の金だと 証明するものについては「私の話だけだ。了解してもらいたい。帳簿、伝票は処分して、な い」などと答えた。

ほぼ同時刻に創価学会は、金庫が置いてあったいう聖教新聞社の地下二階倉庫を報道陣に 公開した。対応した三津木俊幸副会良は、金庫はストーブやカーペットと一緒に匱かれていた が、新しい倉庫を作ったためにれ冲を整理した際、持ち主がわからない汚れた金庫があったた め、四月中旬に中身を確認しないまま日本図書輸送に依頼して廃棄処分にした、などと金庫を 捨てた経緯を説明。「創価学会とも聖教新聞とも関係のない金だ」と学会とのからみを強く否 定した。

学会側の説明を世問は訝った。大資産家ならともかく一宗教法人の職員が二億円近い大金を 金庫に入れたまま二○年間も放置し、存在自体を忘れてしまうなどということがあり得るだろ うか。そもそも金は中西氏のものではなく、中西氏が預かるか管理を委託されていたものだか ら、中の金に手を付けられなかったのだろう。

これが人方の推測だった。矛盾だらけの中?氏 と学会の釈明に対し、あるテレビ番組では出演者が「嘘をつくならもっと上手な嘘をつけ」 と呆れ顔でコメントしていたが、国民の多くがそう思ったのではないか。

先に触れたとおり、最大の謎は一〇〇〇万円の札束に大蔵省印刷局の封緘印付きの帯封がさ れていたことだ。これは市中に出回っていない未使用の官封券であることを示している。中西 氏は会見で、裏商売で儲けて、表に出せない金だから自分の手許に留めて銀行預金しなかった と話していたのに、なぜ金庫に一〇〇〇万円もの未使用の官封券が人っていたのか。金庫には 他にも別々の銀行の官封付きの札束もあった。

 また中内氏は三年問、副業として金杯などを売り一億七○〇〇万円をためたと話した。事件 発覚当時の価傾だと五億円にも相当する金額だ。そんな大金を、わずか三年間の土産物店での チマチマした商売で稼げるものだろうか。

「土産物を売って稼いだとしても何十万、何百万程度がせいぜいのはず。それがいつどこで大 蔵省印刷局の封緘印付きの官封券に化けたのか。あまりに不自然だ」 「官封券は学会ルートで手に入れたものだろう。中西氏個人が学会に内緒で稼いだお金なら、 学会ルルートを使ってそういう交換はできないはずだ」

 学会本部でも噂站がとめどなく拡大した。  本山の売店関係者も私にこう断言したものだ。 「中西さんが本山で商売してあれだけの大金を稼ぐなど絶対に不可能だ」  むしろ一億七○〇〇万円が創価学会の金だと考えたらどうだろうか。銀行にとって大口の預 金者である削価学会は大事な取引先だ。相手が大口顧客の学会だからこそ銀行は貴重な官封券 を渡し、それが何かの手違いで金庫に眠ったまま捨てられた。そう見るのが自然なのではない か。実際、学会内でもそういう見方が優勢だった。

中西氏が大金の存在を忘れていたという点についても不可解な事実がある。中西氏は会見で 「金を忘れるのは、あなたにとってたいした額でないからか」と聞かれ、「そうではない。大事 な金だった」と語った。

ところが七月六日の産経新聞が報じたところにょると、中西氏は一九八二年に東京都江戸川 区小岩の自宅を担保に極度額三五○万円の根抵当権を設定し借金していたのだ。同紙は「自分 の大金の存在を忘れて借金までするとは考えにくく、同氏の説明に対する疑問はさらに深まっ た」と書いたが、この指摘は的を射ている。

一つの仮説として学会の幹部職員が私に語った話がある。それは、字会にはあの数倍の裏金 があり、多くの金庫に分散して隠していたところ、故意か不注意か、あの一つを忘れてしまっ た、あるいは隠してしまった、というものだった。あり得る話だと思った。というのも私も一 九七〇年ごろに、中西氏から預かり物を頼まれた経験があるからだ。

◆池田氏からの預かり物
 開けたら駄目だぞ。これは池田先生のものだ。じつに貴重なものだ。いいな。家族の目の届 かないところに置け。時期が来たら回収するからな」  中西氏から預かった風呂敷包みは五○センチほどの大きさで、かなりの重みがあった。風呂 敷包みには紙で封がしてあり中身が覘けないようになっていた。

開けたらわかるように紙のコ ヨリで封までしている念の入れようだった。興味があったので他の議員にも聞いたところ、矢 追秀彦氏や田代富士男氏ら当時の関西系の複数の国会議員も預かったと話していた。党の主だ った者はみな頼まれていたようだ。

その後、一、ニ年ほどして中西氏から「あれまだ、ちゃんと無事に取ってある?じゃあ持 ってきて」と言われ回収されたので中身は確認していない。

このころ、言論出版妨害事件で池田氏を国会喚問しようという動きがあり、池田氏の個人資 産が調べられる可能性があると恐れられていた。何しろ、国税庁は悪質な事件の場合、私宅ま で強制調査した実例があるからだ。そこで中西氏は池田氏に特に忠実な人を選んで〝貴重なも の〟を預けたのではないか。

おそらく風呂敷包みの中身は池田氏の個人資産か何かで、税務調 査などを逃れるためにあちこちに分散しておいたものではないか。もしあれが回収されずにい たらどうなったか。預かった本人が死亡してから何年も経って、古びた風呂敷包みを遺族が見 つけたら、家族は「汚い風呂敷だな。捨ててしまえ」とゴミに出してしまったかもしれない。 捨て金庫事件も似たような経緯で起きたのではなかろうか。

七月四日、聖教新聞は「まったく考えられない事件が起き、大勢の方々にご迷惑をおかけ し、申し訳ない」という秋谷会長名のお詫びの談話と、金庫発見に至る経緯などを説明する記 事を掲載した。記事は金庫について「本社の管理備品台帳にもまったく記載がなく、中西氏が 知人から譲り受け、個人的に使用していた」「金庫に入っていた現金も中西氏個人の保有して いたもの」などと害き、学会との関わりを懸命に否定した。

学会本部の幹部職員は「池田先生の裏金と見るのが自然だが、池田先生も分散されて隠され ている裏金の所在のすべてを知っている訳ではない。あえて邪推すれば、分敗して保管されて いた裏金の一部を中西氏が池田先生に内緒で隠していたのかもしれない。

あるいは裏金が必要 になったときに備え、池田先生と中西氏が阿吽の呼吸で中西氏に保管させていたものが、誤っ て金庫もろとも捨てられてしまったのかも。その点、中西氏にも弱みがあるので、開き直れな かったのだ」と、まるで見てきたような解説をしていたが、真相がどうであれ、捨てられたの が池田氏の裏金であり、それが管理上の理由で裏帳簿にも記載されず中西氏しか知らない金だ という見方が学会内で強かったのは事実だ。

その後も捜査は継続したが目立った進展はなく、捨て金庫事件に関する報道はめっきり減っ ていく。だが、金庫の中のお金は返還されないままで、当事者としては宙吊りの気持ちだっ た。

◆大蔵省首脳たちとの宴
 実のところ、表舞台の静けさと違って舞台裏では、学会・公明党と警察、さらには国税庁も 加わっての駆け引きが繰り広げられていた。

七月一一日、私は警視庁の高官と話した。私は公明党の書記長をしていたころから、都議出 身の竹入義勝委員長や〝公明党のドン〟と呼ばれていた藤井富雄都議らを通じて、警視庁幹部 との会合によく呼ばれていて、以前から懇意にしていた。

都議会公明党は警視庁予算を含む東京都の予算成立のキャスティング?ボートを握ってい る。このため都議会公明党と警視庁幹部は以前から良好な関係を有し、また警察庁幹部と公明 党も、警察庁と警視庁のキャリア組の人事交流を背景に結びつきを持ってきたのである。

 警視庁の高官は「〝納得できる解決をせよ。マスコミに叩かれる解決はダメだ〟というのが 警察庁会議の結論だ。辻褄の合うストーリーでなければならない。そうでないと警察が大恥を かく」と捜査継続の事情を説明した。

中西氏が金の持ち主である証拠が乏しく、記憶も曖昧とあっては捜査の継続は当然のことだ った。だが、学会内部では「警察は時間をかけて中西の心変わりを待っているのではないか」 との疑心暗鬼が広がっていった。中西氏の気が変わって〝真相〟を暴露するのを警察は待って いるのではないかと恐れたのだ。

この日の夜、私は人蔵省の首脳たちとの少人数の内輪のパーティに参加した。公明党の書記 長を二〇年もやったことで、もともと私は各省庁の現場の官僚と接する機会が多かった。官僚 たちは国会での法案審議促進のため、私のところにもよく頼み事にきた。なかでも大蔵官僚と は予算案などの関連で資料説明を受けたり、国会審議の日程で相談をもちかけられるなど、頻 繁に会っていた。与党の幹事長クラスなら相手も局長級が説明にくるが、野党だと説明にくる のは若い官僚だ。

いまも昔も、大蔵官僚には日本を背負うのは自分たちだという気概が強い。志も高い。だか ら彼らは、物事を頼むときも野党に対して卑屈になることはあまりなかった。大所高所から 「日本のために公明党も理解してほしい」といった感じで筋論で押してくる。我々も譲らなか った。そうした関係が逆に友情とでも言うべき信頼関係を醸成したような気がする。

キャリア官僚の出世は早い。二○年も経てば、現場で駆けずり回っていた若い官僚が局長級 に上ってくる。野党だったことが逆に幸いして私は大蔵省?国税庁の幹部級に旧知の人が大勢 できた。そういう人たちと意見交換をする会を私は定期的に開いていたのだ。

会合では無粋な話はせず、冗談を言い合いながら会話を楽しんでいたが、むろんお互いに計 算がなかった訳ではない。国会情勢の分析もたまには話題になり、野党ながら国会審議のキャ スティング?ボートを握る場面が多い公明党首脳の胸中を取材する意図もあったのかもしれな い。

 この日の参加者は、西垣昭前事務次官、平澤貞昭事務次官、水野勝国税庁長官や小粥正巳主 計局長、保田博官房長、尾崎護主税局長といった錚々たる顔ぶれだった。

捨て金庫事件で中西氏の脱税問題がクローズアップされていたこともあり、私は大蔵省サイ ドに断りなく、会合に八尋副会長と公明党の市川雄一書記長を同行させて「先程まで一緒だっ たもので」と弁解しながら紹介した。

市川氏の来訪は全員が歓迎したが、学会の八尋氏に対しては迷惑そうな顔だった。とはいう もののそこは紳士の集まり、市川書記長が加わったことで、この日は政局や参院選挙、消費税 などの話題で盛り上がった。

秋谷会長(当時)
このころの政局は大揺れだった。竹下登首相が消費税導入とリクルート事件による政治不信 の責任を取って辞任し、六月三日に宇野宗佑内閣が誕生した。ところが宇野氏の女性問題が週 刊誌に報道されて政権は大揺れ。

七月二三日の参院選挙で土井たか子委員長率いる社会党が 〝おたかさんブーム〟に乗り圧勝し、宇野氏は参院選敗北と女性問題を理由に七月一四日に退 陣表明。八月一○日に海部俊樹内閣が誕生する。公明党も議席を減らした。私も、公明党議 員がリクルート事件で逮捕されるなど党内で不祥事が相次いだことを受け、五月一七日に委員 長を辞任したばかりだった。後継は石田幸四郎委員長、市川雄一書記長である。

石田委員長は、泰然自若とした風貌の大人だった。市川書記長は、力ミソリのような切れ味 と分析力、「事態予知能力」とでも言うべき将来を見通す力を持っていた。僭越ながら、私の後輩でー目置く人材は市川氏をおいて他にいな いと思っていた。

 会合が開かれたときは宇野政権で、私のもとにはさまざまなルートから「首相官邸が金庫問 題のことを細かく報告するよう警察に言ってきている。マスコミの関心が首相の女性スキャン ダルから金庫問題に移って官邸は喜んでいる。警察と国税も面子があるからうやむやな処理が できない」といった情報が寄せられていた。

それを裏付けるように会合に同席していた国税高官は、捨て金庫事件に関する国税庁内の雰 囲気をさりげなく説明した。

「国税マンも五万人もいると、いろいろ言う人がおります。中西氏から公然と〝脱税した金だ と言われると〝いまもやっているのではないか〟という突き上げもありまして……」  中西氏が脱税したことを公言している以上、いずれ中西氏への税務調査は避けられそうにな いことが同氏の言葉から察せられた。八尋氏は青ざめ、私や八辱氏らは中西氏への税務調査が 学会に波及することを予感した。

◆国税対策を頼まれる
 参院選挙後、公明党の中央執行委員会が開かれた。議題の中心はそれ以前に行われた創価学 会本部会議での池田名誉会長の発言についての対応だった。

池田氏は捨て金庫事件の処理と参院選の敗北に激怒し、「山友(山崎正友元学会顧問弁護士)、 原島(嵩元学会教学部長)、福島(源次郎元副会長)と同じで中西も裏切り者だ。公明党も負け るなら負けたらいい。議員はいばっている。腐敗してきた。新しく出直す。党にも遠慮しな い」と怒りを爆発させたという。

山崎氏ら三氏は過去に学会の最高首脳として活躍したが、脱会後は激しい池田批判を展開し ていた。池田氏はその三氏と同列視するかたちで、捨て金庫事件の中西氏と公明党を口をきわ めて罵ったという。中西氏への批判を聞いた学会員たちは、「ああ、やっばり池田先生は捨て 金庫事件と無関係だったのだ」と喜んでいたが、なぜ党が巻き添えをくって叱られるのか、そ の脈絡が私にはわからなかった。

ある学会幹部は「ガス抜きだ」と言っていたが、叱られるほうはたまったものではない。 「中西と裏で話がついたから、池田氏は表面的に怒った格好をしている」と解説した学会幹部 もいたが、真偽はいまもってわからない。

池田氏の言葉を聞いた古参党首脳は「もう辞めたくなる」と嘆き、市川氏も「議員パッジの 返上運動をやろうか。池田名誉会長が言うことで、これまでは学会内のガス抜きができてい た。いまはそうではない。見え見えのガス抜きは、むしろ事態を深刻にさせるだけ。党は学会 の現場の人たちからメ夕メタにやられる」とうめいていた。

現に、後日、私のところにも「学会側が〝矢野は反省して家を売って学会に寄付すべきだ〟 と言っている」という話が伝わった。教えてくれたのは浅井美幸副委員長だった。当時の新宿 区二十騎町の家は、妻や母が病を患っていたので、池田氏から勧められたこともあって建てた もので、手持ちの資産を処分しその資金に当てた。その後、税務署からの原資などの「お尋 ね」に対しても資料を添えて回答した。私は?然として「そこまで言うのか。議員でいること に〝もう嫌〟という気持ちになる」と答えた。

捨て金庫事件はもともと学会の不祥事だ。しかも公明党と学会の幹部も本音では、金は池田 氏の裏金だと疑っていた。リクルート事件や田代富士男参院議員の砂利船汚職事件、私の不注 意が原因の明電工疑惑など、公明党の支持者に迷惑をかけたことは委員長として党を預かって いた私の不徳の致すところ。大いに反省もしていたし、だからこそ私は委員長を辞任したの だ。

だが、捨て金庫事件の責任まで公明党に押し付けられ、こき下ろされたのではたまったもの ではない。私は心底うんざりして「とてもついていけん」と思った。

七月三一日、しばらくぶりに読売新聞が捨て金庫事件について報じた。『中西氏が創価学会 の池田名誉会長の側近だったことから「金庫は創価学会のものでは」との見方もあり、この面 からも(編注・県警は)調べたが、関係者の口が堅く、壁に突き当たっている』という内容だ った。

その日、八尋副会長は「神奈川新聞に(捨て金庫事件は)九月決着とあるが、だいたい、そ の線。これでは九月の財務に悲鳴が出て、支障がある。できればお盆前決着がよい。秋谷さん と相談してまた依頼する」と言い、最後に付け加えた。

「中西は最後に(神奈川県警に上申書を)一度だけ出す。最後に国税が残る。矢野さんにぜひ ろしく頼みたい」  私に国税対策をやれという依頼だ。私は丁重にお断りした。

「財務」は学会員からの寄付集めのこと。学会では?年、九月から暮れにかけて財務を実施し ている。この年は九月が実施時期だったが、捨て金庫事件に対する学会員の反発は大きく、事 件の処理が遅れると財務に深刻な影響が出ることが予想された。

 そのころ、私は手帖に次のように記した。 《純粋理性を保持しつつ信仰心をもつ(これはややもすれば矛盾するが、それを乗り切るため には)強い精神力が必要である。(難しいことだが)しかしやらねばならぬと改めて決意する》  私に汚れ役を一方的に押し付け、自分たちは厄介な問題から逃げるという学会首脳たちのや り方には憤りが募ったが、他方では、学会への不信感を打ち消して己を奮い立たせようとする 自分もいた。こんな記入もあった。

《蟻地獄見て光陰をすごしけり(茅舎)》
 蟻地獄に落ちた虫がまるで自分のことのように思えた。逃げようともがいても、どうにもな らない。捨て金庫事件で国税の動きを抑えようとしたことがきっかけで、それから三年間、私 は国税対策という蟻地獄にはまり込み、七転八倒の日々を送ることになった。この句は皮肉に もそれからの三年間を暗示していた。

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